撮れない

オレンジのつぶやき

・・・業務に関するフランクな話題や感じたこと

11年前の夜,避難所の運営にあたっているなかで次第に被災地の状況が伝えられ始めました。
「仙台市の海岸で遺体が発見された」
「走っていた電車が行方不明になっている」
未曽有の被害が起きていることがわからなかったその時点では耳を疑うような情報でした。
その晩やその後の報道で私はかなり心に痛手を負いました。
学生時代を過ごした街でもあり,出向きたいとの気持ちは大きかったのですが,その場に行くと自分が壊れてしまいそうで。
ようやく行くことができたのは夏が近づいた頃でした。
持参していたカメラやビデオで現地の状況を撮影し始めました。
でも1時間も経たないうちに撮影できなくなりました。
犠牲になった方や被害に遭われた方々のことを考えると,撮っていていいのかという疑問が沸きました。
初回の被災地での画像や映像はほとんどありません。
あれから数えられないほど被災各県に出向きました。
いろいろな方々と知り合いになったり話したりしました。
3月になると,多くの報道機関が震災関連のことを報道します。
それはそれで必要なことと思います。
けれども被災された方々の心のうちや言葉にできない思いは,ほとんど報道できていないだろうと毎年思います。
現地に出向いたときの空気や埃,目にした小さな物などに加え,報道から感じ取ろうとしています。